カルチュラル・スタディーズのテレビ視聴研究を、狭義のマス・コミュニケーション研究を越えてより広い文脈のなかで考えるならば、(ポスト)構造主義のテクスト理論との関係が重要である。とりわけモーレーやアングらの研究の場合、『スクリーン』誌を中心に展開された映像の記号論的および精神分析学的分析との関係が大きな意味を持っていた。ロラン・バルトやクリスチャン・メッツによるフランスでの映像研究の発展に影響されながら、イギリスでも1970年代から、ラウラ・マルヴィやコリン・マッケーブといった人々によって映画やテレビのテクスト論的分析が進められてきた。とりわけラカンやアルチュセールの言語学的、精神分析学的なパラダイムを背景に、イデオロギー装置としての映画やテレビにおける言説コードとそれによって名指されていく主体との関係が問題とされていったのである。これらの研究は、映像を何らかの外部の現実を再現するものとしてではなく、あくまで語りのルールや表象のコードによって戦略的に構造化された固有の記号システムと見なしていく。この観点からするならば、映画やテレビは何よりも、その言説の記号的な効果として、オーディエンスの身体のうちに男性としての、あるいはブルジョアジーとしてのまなざしを構成していくイデオロギー装置なのである。
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